トレーナー 山門へ質問
なんでこの仕事(トレーナー)をし始めたのですか?
もともとは、明けても暮れてもサッカーに打ち込む紛れもないサッカー小僧でした。
小学校3年生の時にJリーグが開幕し、私もすっかりと世の中のサッカーブームに影響された一人でしたね。それから高校卒業まで10年間サッカーを選手として行なっていて、当時は本当にサッカーのことばかり考えていて、もっと上手くなりたいとヨーロッパのサッカーリーグやW杯のゴール集ビデオを借りて見たりもしていました(笑)
とは言っても、全国の舞台でプレーすることは遂になく、高校時代からサッカーへのモチベーションで周りとの乖離に苦しめられもしました。そのため、高校卒業を迎えるにあたってもサッカーへの未練というものは残っていたのですが、自身がプロとしてやっていく程のプレーヤーではないと諦めに近い感情を抱いていました。もはや自暴自棄で、なんだかやり切れない感情を覚え、将来への目標を見失い、漫然と過ごす日々の中、進路を検討していたところ、学校紹介の本でトレーナーという職業を初めて目にしたんです。「あっ、これだ!」と、それまでトレーナーなど出会ったこともないその存在に不思議なトキメキを感じました。モヤモヤしていた気持ちは一気に晴れ、今同様進み始めたら早く、まっしぐらにスポーツ界の道へと足を踏み入れることになりました。岩手県で、この業界に入るきっかけは?
先ほど述べたようにスポーツへの未練を断ち切れない私は、親が自営業を営んでいたこともおそらく影響しているとは思うのですが、飽き性で同じルーティンで動くことを嫌うため、毎日決まった時間に会社に通うサラリーマンのスタイルは自分には不向きだと感じていました。とは言いつつも、岩手県に来てからはサラリーマン時代を経験しています(笑)。なんのコネも人脈もない中、家族を食べさせていくことに必死だったので、なりふり構わず働いていました。そんな折、一度離れたスポーツ界ですが、スポーツのワクワクはいつまでも頭の中に残っているんですよね。もうこうなると麻薬に近くて、一度想像すると、もう止められない。幸いにも「いわて国体」を機に、本当に多くの方から親身にお声がけをいただき、再びスポーツ現場で働くきっかけを得ることができたのも非常に大きな転機だと思っています。その前年の和歌山国体で、サラリーマンの私はチームに最後まで帯同できずに大会最中にもかかわらず途中で帰路につきました。これは、ものすごい屈辱というか自分の情けなさを最高に責めました。「こんなのトレーナーなんて言えない。」と自身の迷いを振り払うかのように、ピッチレベルでワクワクドキドキできるど真ん中として、トレーナーと言う職に魅力に取り憑かれ、その可能性にかけてみるべく決意し、2017年に独立しました。
他のジムとの違いはありますか?
一番の違いは私山門が、アスレティックトレーナーであるという点ですね。
アスレティックトレーナー(以下AT)は社会的にも認知が発展途上ではありますが、今やスポーツ界では必要不可欠な存在となりつつあります。Jリーグ(サッカー)のチームには必ずATを帯同させることが義務付けられていますし、オリンピック選手の多くもATと専属契約を結んでいます。岩手県内でも幸いなことに各競技のトップチームはトレーナーとしてATと契約する流れが進んでいます。
なぜなら、アスリートにとってケガは大敵で、シーズンを通してケガなくプレーし続けることは最も大切なことと言えます。ケガを予防するトレーニングやコンディショニング、ケガから復帰するリハビリテーション、さらには心技体が良いパフォーマンスを発揮する条件のため、様々な精神的なストレスに対する心のケアまで幅広い領域をATは担っています。
激しいプレーが要求され、多種多様な選手が存在するスポーツ界でやってきたからこそ、これさえやれば良いという単純なものはなく、大切な方法論は一つではないということを痛感しています。最近の運動分野は細分化され、消費者をブームで動かす風潮が強くなっており、困惑する方が多いのですが、クレドではこれまでスポーツ界で培って来たこれらの経験を最大限活かし、トレーニング指導を行い、それだけでなく、疲れた体を最後までトレーナーが責任を持ちケアまで行なっていきます。このケアを行うことで血流が促進され疲労が軽減するばかりか、筋肉の柔軟性が改善されることで体が軽く、肩こりや腰痛の改善にも繋がります。そして何と言っても終わった時の開放感はたまらないとのお声をいただきますね。これらは専門的な知識や経験の積み重ねが必要な分野なので我々が得意としている部分でもあります。これまでジムをオープンさせるまでは、どういうことを行なってきたのですか?
私はこれまでトレーナーとして15年のキャリアを積んで来ましたが、時には大手スポーツクラブで会員の方を対象にパーソナルトレーニングをし、また時としてスポーツの専門学校で講師としてトレーナーの後進育成のため授業、スポーツ現場での学生指導などもしていました。さらには、高齢者の方々へのリハビリ指導、介護予防の運動教室なんていうこともやっていましたね。その頃は、おじいちゃんおばあちゃんから「あんたに会いにきてるんだよ!一週間分のパワーをもらって帰るからね!」なんてちょっとしたアイドルでしたよ(笑)だからこれまで指導対象で言えば、6歳から90歳くらいまで!
もちろん同時に高校や大学の部活動で、スポーツ選手の指導も行なってきました。そのため、よく専門種目を聞かれるのですが、有難いことに陸上、バレー、ハンドボール、サッカー、野球、バスケットボール、ゴルフなどあらゆる種目をトレーナーとして担当させてもらってきたので、特に専門種目というものはありません。ただ観客として観るのだったら、やはり自身でやってきたサッカーは熱がより上がりますね!